僕らが旅に出る理由はだいたい1個くらいでいんじゃない

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現在開催中のスタジオペケペケ個展「世界の女の子図鑑」
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ペケペケが(主に迫アユミ)旅した場所で特に印象深かった「女の子」をイラストレーションや写真、テキストで綴っています。
と、ここでお知らせ
〈12月2日(土)はナイトギャラリーということでPM10:00頃まで営業してます〉
スタジオ創設から6年。
デザインやイラストレーションを本分に社会と関わりながら、事業を継続してきたものの、息切れを感じつつもあるこの頃。
果たしてこの先、どこでなにをして、どこへ行きたいのか。
今回の個展は自分たちのバックボーンをあらためて確認できる有り難い機会でもあり、日々の後悔や未来への不安に向き合うイヤーな時間でもあるのです。
こんなペケペケに関わってくださる、癒やしてくださるたくさんのお客様を待ちながら。(平日の午前中はヒマ)
以下、個展開場「おわりに」の項より、迫アユミの文章を転載。
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[aside type=”boader”]おわりに
旅で見えたのは何も持たない本当の自分の姿だった。
私が23歳の頃、デザイン専門学校を卒業する直前にテレビ局から大きな仕事を頂いた。
あるバラエティ番組のビジュアル制作の依頼だった。
テロップ、スタジオセット、オープニングアニメーションなど全てをイラスト化するという大掛かりなもので、まさにビギナーズラック的な依頼だったが、恩師であるイラストレーター大寺聡氏も「イラストレーターとして一生に一度有るか無いかの大きな仕事だ」とプロになる事を勧めて下さった。
私のイラストレーションは当然拙いもので、映像クリエイターやディレクターさんに大変迷惑を掛けたと思うのだが最終的には制作チームの大人達の力で番組の個性が光るとても良いものとなった。
今思えばこの出来事が、無謀にも私を就職という道から遠ざけ、社会の歯車や安定から遠い世界へと進む分岐点だったのかも知れない。
棚ぼたで得た大仕事を終えてから1ヶ月、プロのイラストレーターを名乗り、営業なども格好だけはしてみたが、当然、思うような仕事は得られなかった。
ただ、私の手元にはテレビ局から得た大金と膨大な時間だけがあり、猛然と自分の今後を悩み始めていた。
そんな時、国立新美術館で開催されていた「メキシカンウッドカービング」というメキシコのオアハカ州で造られた木彫りのカラフルな動物達の民族美術を見て、その独特の色彩や自由な造形に心を奪われた。
「メキシコに行ってみたい、もっと色んな物を見て見たい…」という好奇心と、どうしようも無い現実から逃げしたいという思いで世界一周の船に乗り込んだ。
世界を旅する事で何か変われたらという期待と、帰って来た時に全てを捨てる事になってもいいという投げやりな気持ちが共存していた。
両親からもイラストレーターが駄目なら就職か、お見合い結婚して農家を継ぐかという提示を迫られ、それを押し切ってでも、絵を描く事を仕事にしたいのか? そんな自問自答を繰り返しながら色々な国を歩いて、生き方も境遇も容姿も全く違う、同じ年頃の女の子達と出会った。
家賃5000円のアパートで暮らしながら花を売る女の子、外国人向けのハマム(サウナ)で赤すりをしながら子供を育てる女の子、レストランで民族舞踊を踊り客のチップで生計を立てる女の子、中南米の治安が悪い地区で女性が安心して泊まれるホテルを切り盛りする女の子。
彼女達はみな健康的で輝く笑顔を持ち、それぞれのやり方で目の前の現実に立ち向かっていた様に思う。
彼女達と向き合う時、私は1人の女で、20代で、アジア人で、日本の南にある自然豊かな所から来た。 それ以外に自分を説明出来る事はただ1つしか無かった。
それが「絵を描く」という事だった。
作品を見せたり、絵で何かを伝えたりした途端に誰もが笑顔になり、言葉が通じなくても見えない壁が取り払われた様な感覚があった。
「絵を描く」ことではなく「絵で伝える」ことの必要性を身をもって知った。
帰国後、私は以前勤めていた雑貨店にアルバイトとして雇ってもらい実家を飛び出した。
相方であるデザイナーのポチャオと暮らしはじめた小さなアパートは外国人移住者や夜の仕事をしている方や大家族の声が響きわたる、さながらスラム街の様な所だった。
そうして少しずつ広告デザインやイラストレーションの依頼がはいりはじめた頃、このレトロフト千歳の1階が古本に囲まれた複合施設としてオープンするという事を聞きつけ、これまた無謀な事に、イラストレーション&デザインの事務所「スタジオペケペケ」としてテナントに加わるべくオーナー夫妻の審査を受けたのだった。
あれから5年。 このビルから生まれた仕事も多く、住居も移し、事務所の収益だけで不自由なく生活出来るようになった。
さあ、これからどうしよう?スタジオペケペケの2人はどこへ向かって行くのだろう。
とまた悶々と思い悩んでいた時にオーナーご夫妻から2Fのギャラリーで個展をしてみないか?とのお題を頂き、悩んだ末に自分の分岐点であった旅と女の子をテーマに描く事になったのである。
絵は社会に必要なものでは無いのかも知れないし、ましてやそれで生計を立てるなど万国共通で無謀な事の様に思われる。 コンビニ店員が数年後には居なくなるのと同じ様に、イラストレーターのスタイルだってますます変化してゆくだろう。
尊敬するオランダのデザイナー「ディック・ブルーナ」氏は少年時代、第二次世界大戦の真っ只中にユダヤ人が多く隠れている地域に住み死と生の境目を目の当たりにしながら、動植物やそこで暮らす人々の絵を描いた。
それは、当時貴重なバターや砂糖と交換出来る程の出来栄えだったという。
明日、食べるものが無いかもしれない、軍隊に入団するかもしれない、愛する人を失うかもしれない。 そんな状況でも薄暗い部屋の片隅に名も無き少年が震える線で描いた色鮮やかな一枚の絵がある。
どんなに時代が変わっても人の心は日常に「光」を求めているはずだ。
先住民族が焼いた素朴な花模様の陶器、オーガニック栽培の綿で1針ずつ編んだ生成りのワンピース、数種類のスパイスをすり潰して淹れた甘いチャイ。 この世の無駄な事の全ては美しく、そして愛おしい。 そういう1つ1つのエッセンスを目に焼きつけ、肌で感じた事をイラストレーションやデザインで表現出来て、それを喜んでくれる人達がいる限り、私はこの先もずっと絵を描き続けるのだと思う。
そしてまた、旅に出よう。
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